鍋ヶ城と惟宗廣言の墓 鍋ヶ城と惟宗廣言の墓 伝承によると、丹後局は比企判官能員の妹で、源の頼朝の寵愛を受けて男子を産んだ。それが島津初代忠久である。頼朝は御台所北条政子の嫉妬をはばかり丹後局を惟宗廣言に与え、忠久は惟宗廣言のもとで育てられた。当時この惟宗廣言は鍋ヶ城に居城されていたとされている。 忠久は後に頼朝によって島津御庄の下司職に任ぜられ、薩摩に下ったとされる。以上が丹後局にかかわる各伝承の要約であるが、この惟宗廣言の墓と伝えられる墓がここ鍋ヶ城の中央に建っている。 ジャンル史跡・歴史問合せ先いちき串木野市総合観光案内所0996-32-5256 関連記事: 来迎寺墓塔群 丹後局舟着場跡 金鐘寺跡